蒲焼きの由来は蒲(ガマ)の穂焼き

日本人が鰻を食べ始めた歴史は新石器時代の古墳などから、鰻の骨も出土する事から、
先史時代より食べられていたことと想像できます。

鰻が記録として登場するのは、「風土記」(715~733 年)に初めて書かれました。また新元号「令和」の出典となった「万葉集」にも歌われていますが、調理法などは記されていません。

鰻の調理法が初めて文献に登場したのは応永6年(1399年)に著された「鈴鹿家記」です。

うなぎの筒切りを塩焼きにしていた様子が、植物の蒲(ガマ)の穂に似ているから、
『蒲(ガマ)の穂焼き』と呼んでいたそうです。室町時代中期までは塩や酢みそ、辛子酢で食べられていたようです。

室町時代末期には、ぶつ切りしたうなぎに醤油や酒、山椒味噌などで味付けした「宇治丸」と呼ばれる料理が登場しました。江戸時代中期以降は調理法が変わり、うなぎを割くようになりました。現在の味付けに近くなりました。

この頃から「蒲(カバ)焼き」と呼ばれるようになったと言われています。